ディズおたパパの育児日記

ディズニーおたくな新米パパが育児に時に趣味に奮闘する日々を書きとめるブログです( ´ ▽ ` )ノ

あれから5年 地震の時を振り返る

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東日本大震災から5年が経ちました。

 

当時の事を思い出しながら書いていこうと思います。

 

僕は当時ランチタイム終了の片付けをしていました。

お客さんが1組いたかな。

何故だかわからないけど昔から敏感で地震の前に地震が来る事を感知出来ます。

ほんの数秒早くわかる程度ですがザワっとするって感じです。

その時も「あ!地震来るかも」って言った直後揺れ始めました。

ただあそこまで大きくなるとは思っていませんでした。

 

どんどん大きくなる地震。僕はあわててガスの元栓を締め、逃げ道になる扉を開け揺れがお客さんを安全と思われる場所まで移動し揺れがおさまるのを待ちました。

 

周りを見渡すとビルとビルが揺れて今にもぶつかりそう。信号機のスウィングは振り子のよう。

次の瞬間電気が落ち地震が止みました。

 

とりあえずその時に思った事は「大変な事になった。食料とガソリンだけでも確保しないと!!」でした。

 

流石に電気も切れてしまい営業も出来ません。お客さんもお子さんを心配して早々に引き上げて行きました。

僕は店長(父)にお願いしてお店を抜けます。

最初に言ったのはコンビニ。明日の食料と電池を買いました。

そして次に向かったのはガソリンスタンドとカー用品店。

車のガソリンを満タンにしたあとインバーターを買いに行きました。

どこもとても混んでいましたが、その時必要と考えられるものが先に無くなるといった状態だったので電池とインバーター・ガソリンは直ぐに買えました。

得に次の日からガソリンスタンドの行列が大変な事になっていました。

 

お店に戻ると片付けをすませ一目散に家に帰りました。

電話もメールもNG。

家族の安否確認が出来ないのが1番心苦しかったです。

僕のいる町では不思議な事に駅西は電気が通っていて東は停電。線路をわたると別世界のようでした。

 

市街地の周りに環状線がありそこをこえると全て真っ暗な状態でした。

警察さんが交通整備をしていました。もちろんどこも渋滞です。

 

実家に帰ると部屋の中も小物が飛び出していて片付けが大変でした・・・

家具はほぼ地震対策をしていたので倒れる事はありませんでした。

流石に余震が凄く片付ける気にはなりませんでした。

 

それから物置から灯油ストーブ(電池式)を取り出しその熱を使ってうどんを作り家族で食べました。

とても寒かくて愚痴っていたのですが、その後(翌日正午過ぎ)電気の復旧の際にTVで現状を目の当たりにし、津波の映像を見たらそんな気持ちが吹き飛びました。

 

翌日はお店を再開するかどうかを店長と相談。

お店には来ていたのですが電気が通っていなかったので。

それでもお客さんは来てくれるんですよ。

なので、出来る範囲での営業をしようと言う事になりました。全てのメニューは提供出来ずとも何かしらは用意しようと!!

多分お客さんも余震があったりで心細かったんだと思います。

お話をして気が紛れるならそれで良いじゃない。と思いながら接客しました。

 

そこから1ヶ月間は材料不足で大変でしたね。

 必要なものがなかなか揃わない。

1つの地震で(いや、ここではどちらかと言うと原発の影響が大きかったかな)こうも生活が乱れるとは思ってもいませんでした。

 

せめて僕らの次の世代には大きな地震がないことを祈ります。

ただ、この経験を風化させず伝えて行かなければいけないとも思っています。

備えあれば憂い無し。

 

新居に引越し防災グッツを買いなおしていなかったので用意しないといけませんね!!

 

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